荒野に花を、乾いた空気にユーモアを。
どうも、株式会社ダニエルズアーク代表のダニエルです。
例えば、イチローが小学校の時に、野球ではなく相撲をやっていたとする。
でもそのイチローは、相撲ではあまり頭角を現せなかった。
その時、学校の先生は伸び悩むイチローにこうアドバイスをした。
「まずは体格をつけて、頑張って弱点を克服していけば、きっといつか横綱になれるよ。」
果たしてこのイチローは、将来本当に横綱になれただろうか。
イチローみたいな努力の才能があれば、きっと相撲界でも横綱になっていただろう。
「何でも努力信者」はそう考える。
それは、本当にそうだろうか?
イチローには、バッティングの感覚、俊敏さ、反射神経、総合的な守備力という類の、野球ならではの才能があったのではないだろうか。
そして、その得意な野球だからこそ楽しさを感じられたのかもしれない。
だから、ドンドン頑張れた。
つまり、「イチローは野球だからこそイチローに成り得た。」と、自分は思う。
イチローが相撲で朝青龍になることはできず、朝青龍も野球でイチローになることはできない。
これは、自分たちがこの次の時代にシフトしていこうとする社会の中で、めちゃめちゃ重要なポイントなんじゃないだろうか。
『石の上にも3年』『まずは、苦手なところを克服していこう。』
そんな言葉を今まで死ぬほど聞いてきた。
だけど、その言葉はとても無責任に使われることも多い。
こどもに自分の夢だったバレエを続けさせたい親。
とりあえず目の前の伸び悩んでいる人に対して何とアドバイスをしたら良いかわからない学校の先生や会社の上司。
何か言葉をかけないと気まずいという心からくる友達の安易ななぐさめ。
そんな状況の中で、皆、好き勝手に「もうちょっと頑張ったら」と言ってしまう。
しかし、それらはぜんぶ嘘だ。
少し前に、「石の上にも三年は統計的に根拠ゼロ」という記事が話題になっていた。
その記事は、石の上にも三年信仰が日本人は強く、才能が発揮できる最適なポジションになかなか移れない状況が強いという内容だったと記憶している。
確かに、働き者の日本人は「今のところで結果も出さないと」「苦手を頑張って克服しないと」という思い込みで踏み切れない人が多い。
せっかくのチャンスや、能力を活かせる機会があっても、何となくこの「辛抱の美徳」が邪魔をして、踏みとどまってしまう。
だけど、そういう刷り込みは、全くの間違いなのだ。
『あなた』という『イチロー』には、思い切りボールを追いかけるフィールドが広がっていて、その世界は今か今かとあなたがやってくるのを待っている。
もし、自分が今相撲を続けていると思うなら、早く止めたほうがいい。
社会全体にとっても、イチローが相撲をやるよりも、野球でめきめき上達しファンを喜ばせ経済を回していくことのほうが1億倍プラスだ。
相撲を頑張って続けているイチローがこの日本には無数にいる。
しかもそのイチローは、下手な努力神話や、良心の呵責に苦しめられている。
そんなイチローに「お前は野球じゃない?」って声かけられるやつになりたいなあ。
(株)ダニエルズアーク 代表 大原昌人(通称・ダニエル)