代表ブログ

「うちわ」というクリエイティビティ

荒野に花を、乾いた空気にユーモアを。
どうも、株式会社ダニエルズアーク代表のダニエルです。

先日、渋谷駅の改札を出ようとしていた時にちょうど雨が降り始めた瞬間があった。

雨の日の湿った本棚みたいなにおいがふわっと香り立っていて、普段は何もない日常なんだけど、その日はいつも出る改札口付近でアルバイトの女の子が「うちわ」を配っていた。

通信会社か何かの変哲もないどこにでもあるようなうちわだったんだけど、案の定誰ももらってはいなかった。

そもそも、うちわって大きいし、なんとなく女性が道端で歩きながらうちわを持っていてもスタバのフラペチーノみたくは絵にならない。

そして、ダニエルなんかが持っていると、「こいつこれで耳とか掘り始めそうだな〜」なんて思われたりもする曲者だ。

だが、ここで少し面白いことが起きた。

雨がパラパラと降り始めていたタイミングだったので、あろうことか、うちわを配っていた女の子は咄嗟に「このうちわ、傘としてお使いください〜」と叫びながら配り始めたのだ。

するとどうだろうか。

いままで誰一人としてうちわに見向きもしなかった人が、一人、また二人とそのうちわを雨避けにしようと、もらい始めたのだ。

そして、みるみるうちにうちわは無くなっていった。

この光景を近くでみていて、とても面白かった。

よくよく考えてみれば、このサンプリング用のうちわが作られた目的は、なにも人が気持ち良い風を送るためを第一の目的として配られているのではない。

当然のごとく、ポケットティッシュなどと同じ類で、企業やイベントの宣伝材料として使われるのが主目的なはずだ。

そのとっかかりとして、うちわのような使い勝手の良いものであれば人はもらいやすい。

ただそれだけのことだ。

つまり、販促物として機能してくれれば、それがティッシュだろうと、うちわだろうと何だって良いという、しごく当然の原理だ。

その意味で、この女の子が取った行動はどうだっただろうか?

究極のファインプレーだったのではないだろうか?

このうちわが、風を送る機能として使われようと、雨よけとして使われようと、それが人の手に渡り、目に触れるという宣伝行為を十分に果たしているのだ。

普段であれば誰ももらわないうちわを、最適なタイミングと最適な一言ですべてハケ切らせてしまったこの絶妙なプレーに天晴れと言わざるを得ない。

ダニエルはあまりにもこの光景に驚きを覚え、思わずチビってしまった。

そして、チビってしまったので、すかさず今まさにもらったばかりのうちわを「パンツ」として装着させていただいた。

例えると優しく折り畳んで包みこむような感覚に近い。

少しばかりうちわの骨の部分が硬く、折り曲げ辛かったことは記憶しているが、これもうちわとしての本来の目的を果たしていると咄嗟に判断したためだ。

何とも憎らしい頭のキレた男である。

昔、パンツが無くてイチジクの葉っぱをつづりあわせた人の話を聞いたことがあるけど、人間は古くから、切羽詰まると目の前のモノを慌てて腰に巻く習性があるようだ。

ふう。

まあ、うちわで作ったパンツの話は置いておいて、このうちわの一件は、ものすごい示唆に富んでいると思う。

僕らが日常の仕事やプライベートの中で、目的ではなく、機能や手段が主目的になり下がってしまうことは非常に多いんではないだろうか。

つまり、「うちわはうちわとしてちゃんと配らないと」という囚われである。

「このワークフロー何であるか分からないんですけど、とりあえず昔からの仕事なんですよねー、あははは」みたいな事は仕事上良くある話で、大抵そこにはこの「とりあえず、うちわじゃなければいけないの」という思考の縛りが存在している。

強引にまとめると、本来の目的さえ絶えず考えていれば、無駄な仕事も無くなるし、より良いクリエイティブな発想もできるよねということで締めくくらさせてください。

以上、「ふんどし」商品開発の裏側でした。

(株)ダニエルズアーク 代表 大原昌人(通称・ダニエル)