代表ブログ

偽りの自我像

荒野に花を、乾いた空気にユーモアを。
どうも、株式会社ダニエルズアーク代表のダニエルです。

年間250人ほどの人物撮影をさせていただいているということもあり、たまに、その人自身の持つ「自画像の歪み」みたいなものに出会うことがある。

基本的にダニエルの繋がりで依頼をしていただく方は、非常に自分を大切にし、かつ自信がある方が多いので問題ないのだけれども、たまに初対面の方などで、極度なレタッチや肌の加工を求めてくる人もいる。

「もっと肌を白くしてほしい」
「もっと顔を小さくしてほしい」
「もっと目を大きくしてほしい」
「もっと痩せた感じにしてほしい」

その根底にあるのは、その人が持つコンプレックスや、こうあるべき私という強迫観念にも似た思い、SNSや広告などで煽られた極度な理想像といったモノが多い印象だ。

基本的にダニエルは、そのようなレタッチのお願いは丁寧にお断りしている。

なぜなら、そこには本来のあるべき姿、愛されるべきありのままの自分を、プラスティックでコーティングするかのような良心の偽りに、自分も共謀してしまうような罪悪感を覚えるからだ。

もちろん、写真の全体的なバランスや明るさ色合い、イメージの作り込みはしているが、偽りの自分作りに加担するつもりはない。

フランスでは昨年、モデルの体形を痩せさせたり、一部を大きく見せるようにしていたコマーシャルフォトに対して、「これはレタッチ加工済みです」という画像加工の表示義務の法律が導入されたそうだ。

なぜなら、この国では若い女の子たちが、誤った「理想の体形」を植え付けられてしまっていると判断したためだ。

いま、写真に限らずとも、本来のあるべき姿、あるべき本音、あるべき弱さ、それ自体を認めて公にしていくこと、「そこにこそ価値があるよね」という動きが世界的に水面下で広がっているように感じる。

SNSでも作り込んだ自分アカウントへのフォロワーももちろん多いが、ありのままの本音を書き込むアカウントこそ信頼できるといった風潮は昔よりも確実に増えてきている。

「私はモテるために今まで生きてきたんです」と本心から再プロデュースして、ドン底から起死回生したモテクリエーターの「ゆうこす」なんかは好例なんじゃないかと思う。

製品やコミュニティにおいても、「さあできました」という完成形よりも、人々はむしろ作る過程から、その試行錯誤の段階から中に入っていくことに喜びを感じている節もある。

オンラインサロンなどの流れもそこに近い。

要するに、情報が溢れ過ぎた分、隠さない人、弱さまで引っくるめて偽らない人への信頼が強くなってきているのだ。

ネットなどによって広げすぎた風呂敷を、いまみんな畳みにかかっているイメージだ。

だから、極論を言うと、みんなもう全ての囚われとか建前から解放される時代が、すぐそこまで来てるんだと思う。

自分の弱さ、悲しさ、怒り、喜び、楽しさ、愛、全部を剥き出しにしてさ、生きていこうよ。

僕らが恐れている誰かの目線なんて、実際はどこにも存在しないんだ。

(株)ダニエルズアーク 代表 大原昌人(通称・ダニエル)