代表ブログ

ルールを守って本質を見失う

荒野に花を、乾いた空気にユーモアを。
どうも、株式会社ダニエルズアーク代表のダニエルです。
「そのような事は出来ない規則になっております。」

この類のフレーズは、多分日本人なら一生に一回は聞いたことがあるんじゃないだろうか。

事務の受付で、レストランで、仕事先で、日本の至るところで散見されるこの「規則は守らなければ」という神経質な空気と「ルール外の責任は負いたくない」という他責感みたいなものは、もはや日本人の悪しき文化になってしまっている。

この前パリに行った時、「街の通行人たちはほとんど信号を守っていなかった」というのを書いたんだけど、この事はけっこう本質とは何かを考えさせられた。

そもそも信号の本質は「事故なく交通を整備すること」だ。

だから、信号を守ること自体が目的ではない。

少なくとも自分が現地で見たフランス人たちは、赤信号でも自分で車が来ないことをしっかり確認しつつ、自己判断で渡っていた。

一方で、車が果てしなく来そうにない短い信号であっても、キッチリと守るのが日本人だ

3歩進めば渡れそうで、かつ周りに車がガランとしていても、律儀に守る。きっちり守る。

ダニエルが高校時代の時に、授業で先生が「砂漠で絶対に車が来ないことが分かっていたとして、そこにもし信号があったら守る人は?」との質問に、クラスの3分の1の人が手を挙げていて、「お前ら全員干からびてミイラになれよ」と思ったのを覚えている。

そんなキチンと決まりを守る日本人だけれども、時にその信号の渡り方を見ていると、「あれ、本当にそれでいいんだっけ?」と思うことがある。

例えば、渋谷なんかのスクランブルを見ていると、信号を渡る時に若者のほぼ7割くらいがスマホを見ながら横断歩道を渡っている。

また、多くの人が「前の人が動いたから渡る」だけで、青信号を確認し、周りから車が来ていないかを見てから渡る人は少ない。

信号を無視して渡った人につられて、後から人がワッとついて来てしまい、赤信号に気づいて慌てて引き返すみたいな光景は誰でも見たことがあるだろう。

多分、そういう渡り方をしていると、車が突っ込んで来たら、みんな一発で轢かれると思うんだ。

ちなみに付け加えておくと、ダニエルはスマホをいじりながらコーヒーを飲みつつ鼻毛のチェックを鏡で行いながら横断歩道を渡るタイプの人間なので、車が突っ込んだ際は間違いなく一発で轢かれるパターンであることは告白しておく。

右手にスマホ、左手にコーヒーなので、鏡は言わずもがな胸に装着する折り畳みタイプである。
 
話を戻す。
 
要するに、赤信号だからこそ車が来ていないかをかなり注意しながら渡るフランス人。
 
方や、青信号を守っているから大丈夫と思って、スマホだけを見ながら渡る日本人。
 
「◯◯人」みたいな括りは嫌いだし、フランス以外でも信号を守らない国はたくさんあるけども、明らかな考え方の違いがそこに見られたように感じた。
 
 
どっちが「事故なく道を渡る」という本質を捉えた行動をしているんだろうか?
何もダニエルは「信号を無視しよう」と啓発しているわけではなくて、一つの例えとして信号を取り上げている。
いつのまにか何かルールや法律を守ることそのものが目的化して「規則が本質を上回る」みたいな行動を集団心理で行なってしまっていて、そういう類の例が、日本にはたくさんあるんではないだろうか。
ルール以上に大切な何かを大切にしていきたいよね。
 
と、大切なことなので大切を2回繰り返しました。
いつもルールという湿地帯をズカズカと土足で突き進んで怒られているダニエルが、自分への援護射撃を兼ねて書いておきます。